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1-1 ネクスト・ソサエティの姿

 ニュー・エコノミーよりもネクスト・ソサエティ

 はたしてニューエコノミーなるものが、実現しうるかどうかは不明である。だが、ネクスト・ソサエティがやってくることはまちがいない。しかも万一ニューエコノミーが実現するとしても、ネクスト・ソサエティのほうがはるかに大きな意味をもつ。それは二〇世紀の社会はもちろん、二一世紀の社会として一般に予想されているものとは異質の社会となる。そのかなりの部分がすでに実現しつつある。

 雇用形態の変化

 なかでも特に重要な変化が、ようやく正面から捉えられるようになった問題、すなわち高年人口の急増と若年人口の急減である。
 政治家は年金制度の改革を約束する。同時に、いまから二五年後には、誰もが七〇代半ばまで働かなければならなくなることも承知している。しかし彼ら政治家も、高年者のきわめて多くがフルタイムではなく契約ベース、非常勤、臨時、パートタイムで働くようになることまでは承知していない。企業においても、人事部や流行の人材開発部は、働く者がすべてフルタイムの正社員であることを前提としている。雇用関係の法令もそう想定している。
 ところが、いまから二〇年後あるいは二五年後には、組織のために働く者の半数は、フルタイムどころかいかなる雇用関係にもない人たちとなる。特に高年者がそうなる。したがって、雇用関係にない人たちをいかにマネジメントするかが、企業だけでなくあらゆる種類の組織にとって中心的な課題の一つとなる。

 市場の変化

 若年人口の急減のほうは、ローマ帝国崩壊時以来のことであるというだけでも重大な意味をもつ。すでに先進国のすべてと中国及びブラジルが、人口維持に必要な出生率二・二を下回った。
 このことは、政治的には、外国人労働者や移民の受け入れが、国論を二分する問題になることを意味する。経営的には、国内市場が激変することを意味する。
 これまで先進国では、国内市場は家族形成の増大によって成長してきた。ところが、これからは大量の若年移民を受け入れないかぎり、家族形成が確実に減少していく。第二次大戦後に出現した大量消費市場は、若年中心の市場だった。これが中高年中心の市場となる。若年中心の市場は、残るとしても、中高年中心の市場よりもずっと小さくなる。
 同時に、若年人口の減少により、高年者、特に高学歴高年者のリクルートと確保が重要となってくる。

 高度の競争社会

 ネクスト・ソサエティは知識社会である。知識が中核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。
 知識社会としてのネクスト・ソサエティには、三つの特質がある。第一に、知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。第二に、万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。第三に、万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。
 これら三つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても一人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる。
 すでに、ネクスト・ソサエティのもう一つの重要な側面である情報技術(IT)が重大な影響をもたらしつつある。知識は瞬時に伝えられ、万人の手に渡る。その伝達の容易さとスピードが、企業、学校、病院、政府機関に対し、たとえ市場と活動はローカルであっても、競争力はグローバル・レベルにあるべきことを要求する。インターネットは世界中のユーザーに対し、何をどこで、いくらで手に入れられるかを教える。

 主役の交替

 ネクストーソサエティは、知識を基盤とする経済であるがゆえに、主役の座を知識労働者に与える。知識労働者という言葉は、今日のところ、医師、弁護士、教師、会計士、化学エンジニアなど高度の教育と知識をもつ一部の人たちを指すにとどまっている。
 だがこれからは、コンピュータ技術者、ソフト設計者、臨床検査技師、製造技能技術者など膨大な数のテクノロジスト(技能技術者)が必要となる。彼らは、知識労働者であるとともに肉体労働者でもある。むしろ頭よりも手を使う時間のほうが長い。だがその手作業は、徒弟制ではなく、学校教育でしか手に入れられない知識を基盤とする。とびぬけて収入が多いわけではないかもしれない。しかし彼らは、プロフェッショナル、すなわち専門職業人である。
 二〇世紀には、製造業の肉体労働者が社会と政治の中核を占めていた。これからは彼らテクノロジストが、社会の、そしておそらくは政治の中核を占めるようになる。

 保護主義の復活

 経済構造においても、ネクスト・ソサエティは今日の社会とは異質のものとなる。二〇世紀には、一万年の間、社会を支配してきた農業が力を失った。
 今日、製造業が農業に似た道をたどりつつある。第二次大戦後から今日までの間に、先進国の工業生産は三倍以上になった。しかし製品個々の実質価格は着実に低下した。その間、医療や教育などのいわば知識製品とも呼ぶべきものの実質価格が三倍になった。いまやこれら知識製品に対する製造業製品の購買力は、五〇年前の五分のIから六分の一になっている。
 ー九五〇年代のアメリカでは、製造業の雇用が全就業人口の三五%を占めていた。ところが今日では、いかなる社会不安も引き起こすことなく半減している。しかし、製造業の雇用が今日でも二五~三〇%の高い水準にある日本やドイツにおいて、その急激な減少はいかなる社会不安をもたらすことになるか。
 国富と生計の担い手としての農業の地位の低下は、第二次大戦以前において、今日では想像すらできない保護主義をもたらした。これからも自由貿易のお題目は唱えられ続ける。だが製造業の地位の変化が、新たな保護主義をもたらすことはまちがいない。
 それは関税による保護主義ではない。補助金、輸入割り当て、諸々の規制による保護主義である。あるいは、域内においては自由貿易、域外に対しては保護貿易という地域共同体の発展を通じての保護主義である。すでに欧州のEU、北米のNAFTA、南米のメルコスールがその方向に向かいつつある。

 グローバル企業の未来像

 今日のグローバル企業が世界経済に占める位置は、量的には、一九一三年当時の多国籍企業とさして変わらない。だが、質的にはまったくの別種である。かつての多国籍企業は国別に独立した子会社をもつ国内企業だった。これに対し今日のグローバル企業は、事業の論理に従ってグローバルに事業を展開する。ただし今日のところ、グローバル企業の多くは一九一三年当時の多国籍企業と同じように、まだ株式の保有によって一体性を保っている。
 いまから二五年後のグローバル企業は、戦略によって一体性を保つことになる。所有による支配関係も残るが、少数株式参加、合弁、提携、ノウハウ契約が大きな位置を占めるようになる。もちろん、そのような事業構造のもとではトップマネジメントのあり方も大きく変わる。
 依然として、トップマネジメントは、大企業においてさえ現場のマネジメントの延長線上にあるとされている。しかし、明日のトップマネジメントは、現場のマネジメントとは異質の独立した機関となる。それは事業全体のための機関となるはずである。
 そのとき、グローバル企業のトップマネジメントにとってもっとも重要な仕事となるのが、短期と長期のバランスである。同時に顧客、株主(特に年金基金その他の機関投資家)、知識労働者、地域社会など利害当事者間の利害のバランスをとることである。
 それでは、これらいくつかのすでに起こりつつあることをふまえて、いまマネジメントたるものは何をなすべきか。われわれがまだ気づいていない変化としては、さらにどのようなものがあるだろうか。

ネクスト・ソサエティにおける為替取引で勝つために

1-2 社会を変える少子高齢化

 急速に進行する少子高齢化

 世界三位の経済大国ドイツでは、今日六五歳超人口が全人口の五分の一を占める。これが二〇三〇年には、二分の一近くへと急増する。今日の出生率一・三という数字に大きな変化がないかぎり、三五歳未満人口は、この高年人口の増加の倍のスピードで減少する。その結果、ドイツの人口そのものが、現在の八二〇〇万から七三〇〇万あるいは七〇〇〇万へと減少する。就労年齢人口は、今日の四○○○万から三〇〇〇万へと四分の一減少する。
 このドイツの人口変化は例外ではない。世界二位の経済大国日本では、人口は二〇〇五年に一億二五〇〇万のピークに達する。二〇五一年には一億人を切る。そのかなり手前の二〇三〇年においてさえ、六五歳超人口が成人人口の半数を占めるにいたる。日本の出生率はドイツ並みの一・三である。
 これらの数字は、フランス、イタリア、オランダ、スウェーデン、スペイン、ポルトガルなど他の先進国でも変わらない。新興国でさえ変わらない。中国もそうである。イタリア中部、フランス南部、スペイン南部にいたっては、ドイツや日本よりも出生率が低い。
 とはいえ、この高年人口の増加は三〇〇年の趨勢の延長線上にある。これに対し、若年人口の減少こそまったく新しい現象である。今日のところ、若年人口の減少に見舞われていない先進国はアメリカだけである。そのアメリカさえ、出生率は人口を維持できる水準にない。成人人口における高年人口の割合は、今後三〇年間、アメリカでも着実に上昇していく。
 このことは、先進国の政治において高年者の支持が重要になることを意味する。すでに年金改革は選挙公約の柱である。移民の受け入れは人口維持や労働力確保の観点から論じられるようになっている。年金と移民の二つの問題が、先進国の政治の様相を大きく変えつつある。
 遅くとも二〇三〇年には、先進国では退職者が退職の恩恵に浴せるのは七〇代半ばということになる。年金の額も少なくなる。
 就業者の年金負担の上昇を多少なりとも抑えるために、心身ともに健康な者に対する定年は撤廃されているかもしれない。すでに若年者と中年者の多くが、自分たちの年金の財布が空になることを懸念している。いずれの国においても、政治家だけが、現行の年金制度を救える振りをしている。

 移民は必要かつ不要

 移民の受け入れが大きな問題となる。ベルリンのDIW研究所では、労働力を維持するためにドイツは年間一〇〇万人の移民を必要とすると推計した。他のヨーロッパ諸国も事態は変わらない。人口問題の権威、アメリカン・エンタプライズ・インスティテュート(ワシントン)のニコラス・エーベルスタットは、「今後五〇年間、日本は年間三五万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐためにはその倍を必要とする」(「フォリン・ポリシー」二〇〇一年三・四月号)といっている。しかもアメリカ以外の国には、そのような規模の移民を受け入れた経験がまったくない。
 すでにこの問題が政治を変えつつある。
 アメリカでさえ、移民問題が政党支持層に変化をもたらしつつある。移民に反対する労働組合は、一九九九年のWTOシアトル総会時のグローバル化反対デモを支持した。これからは、民主党候補は移民に反対して労組票をとるか、移民に賛成してラテン系を中心とする移民票をとるかで悩むことになる。共和党候補も、賛成して労働力の不足を懸念する経済界の支持を得るか、反対して反移民色を強める白人中流階層の支持を受けるかで悩むことになる。
 とはいえ、先進国のなかでは、すでに多くの移民を受け入れているアメリカが数十年先をいっていることにまちがいない。アメリカは特に一九七○年代以降、非合法のものを含め大量の移民を受け入れている。そのほとんどが若く、出生率も高かった。そのおかげで、アメリカは今後三〇年から四〇年の間、他の先進国が人口を減少させていくなかにあって、わずかながら人口を増加させていく。

 優位に立つアメリカ

 アメリカが優位にあるのは、若年人口の数だけではない。移民に対する文化的な馴れがある。社会的、経済的に同化させる方法を身につけている。しかも最近では、ラテン系、アジア系ともにアメリカ社会に同化するスピードが速くなっている。ラテン系移民の三分の一は、ラテン系でも移民でもないアメリカ人と結婚している。最近の移民にとって、問題は公立学校のレベルの低さぐらいのものである。
 先進国のなかでは、アメリカ並みの経験をもつ国はオーストラリアとカナダだけである。日本は一九二〇年代と三〇年代に朝鮮から受け入れた以外は移民を受け入れていない。彼らに対する差別意識は今日でも問題にされている。
 しかも一九世紀の大量移民は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジルのような空白に近い地帯への移住か、同一国内における農村から都市部への流入だった。ところが二一世紀の移民は、すでにその国の人間がいるところへ流入する国籍、言語、文化、宗教の異なる外国人である。依然としてヨーロッパは、そのような外国人の同化に成功していない。

 文化と市場の多様化

 人口構造の変化がもたらす最大の影響が、文化と市場の多様化である。実は一九二〇年代、三〇年代まで、あらゆる国が多様な文化と市場をもっていた。それらは階層、職業、居住地によって分かれていた。たとえば一九二〇年あるいは四〇年までは、農村市場や富裕市場があった。
 しかし第二次大戦後、あらゆる先進国が、ただ一つの文化とただ一つの市場をもつようになった。ところが、今日進行中の人口構造の変化は、それら単一化したマスの文化と市場に大きな影響を与える。
 今日、再び市場は多様化の兆しを見せている。この二五年間、アメリカで最大の伸びを示してきた金融サービス産業では、すでに市場の多様化が明らかである。一九九〇年代の狂的ともいうべきハイテク株のバブル市場は四五歳未満人口の市場だった。これに対し、投資信託や私的年金など同じように急成長した長期投資市場は五〇歳以上人口の市場だった。
 今後、先進国においてもっとも急速に成長するに遠いない高学歴者のための継続教育の市場も、これまでの若年市場とはまったく異質の価値観をもつ市場である。
 もちろん、若年市場にもそれなりの際立って魅力的なものが生まれる。たとえば、中央政府の一人っ子政策が強力に推進された中国の沿海都市部では、中流階級がかつて四、五人の子供にかけていた総額を超える額を一人にかけるようになっている。日本でもその傾向がある。アメリカでは、中流階級が良質な学校のある郊外に引っ越すなど大金をかけている。新種の高級品市場たるこの若年市場もまた、過去五〇年間のマス市場とは異質である。
 こうして戦後発展したマス市場が、若年人口の減少とともに影を薄くしつつある。

 労働市場の多様化

 労働市場のほうも、需要が異なり、動きが異なり、雇用形態が異なる多様な市場に分化する。すでに五〇代未満市場と五〇代以上市場が分かれつつある。若年者は、正社員として安定した収入を必要とする。少なくとも常時フルタイムの仕事を必要とする。これに対し現在急増中の高年者は、幅の広い選択肢を必要とする。彼らには多様な組み合わせがある。休養との組み合わせさえ必要とする。
 労働市場は女性のテクノロジストの出現によっても多様化する。看護士、コンピュータ技師、弁護士補助職の資格をもつならば、一五年間の子育てのあと仕事に復帰できる。アメリカでは、男性よりも多くなった大卒女性の多くがテクノロジストの道を進んでいる。テクノロジストの道こそ、子育て後の社会復帰を望む女性のニーズに応え、かつ労働可能年限の延長という新しい現実に応える初めてのキャリアである。
 そもそも労働可能年限の延長だけでも、労働市場の多様化を促進する。五〇年に及ぶ職業人生活は、一種類の仕事をするには長すぎる。
 企業をはじめとする組織の短命化も、労働市場の多様化を促進する。これまでは、雇用主たる組織のほうが被用者よりも長命であることが常識だった。これからは、被用者、特に知識労働者の労働可能年限のほうが、うまくいっている組織の寿命をさえ上回る。
 三〇年以上存続する企業はほとんどなくなることを覚悟しなければならない。政府機関や政府プログラムさえ、三〇年はもたなくなる。かつては、働く者のほとんどにとって、労働可能年限は三〇年以下だった。肉体労働者として疲れきってしまった。しかし今日、二〇代で労働力市場に入ってきた知識労働者は、五〇年経ったあとも心身ともに働くことが可能である。
 すでにアメリカでは、「第二の仕事」「第二の人生」が流行語になっている。ますます多くの働き手が、私的年金や公的年金の受給資格を確定するや早期退職を選んでいる。働くことをやめるわけではない。新しい雇用形態のもとで再び働きはじめる。フリーとして働き、税務申告を忘れる者もいる。アウトソーシング先で働き続ける。あるいは契約社員として働く。最近では、この働き続けるための早期退職が増えている。

 人口の変化に気をつけよ

 二〇年後の労働力人口は、かなり確実に予測することができる。二〇二〇年に労働力になっている者はすでに生まれている。
 しかし、アメリカのこの二〇年を見ても明らかなように、人口は予想もしない方向に急激に変化する。しかもその影響はかなり早く現われる。たとえばアメリカでは、一九四〇年代のベビーブームが、早くも一九五〇年代には住宅建設ブームを引き起こした。
 アメリカは一九二〇年代の半ば以降、最初の少子化を経験した。一九二五年から三五年の間に、出生率が半減した。人口維持に必要な出生率二・二を割った。一九三〇年代にローズヴェルト大統領が任命した人口学者と統計学者からなるアメリカ人口問題諮問委員会は、アメリカの人口は一九四五年をピークとして、しだいに減少すると結論した。
 ところが実際には、一九四〇年代の半ば以降、突然の人口爆発が起こり、予測がはずれた。わずか一〇年間に、出生率が一・八から三・六へと倍増した。一九四七年から五七年にかけて、アメリカは驚くべきベビーブームを経験した。出生数が年間二五〇万人から四二〇万人に増加した。
 そして、一九六〇年から六一年にかけて逆の現象が始まった。団塊の世代が成人になることにともなって到来が予測されていたベビーブーム第二波の代わりに、突如少子化かやってきた。六一年から七五年の間に、出生率は三・七から一・八へと急落した。出生数は六〇年の四三〇万人から七五年には三一〇万人へと激減した。
 予測できないことは、もう一度起きた。一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけてのベビーブームの再来がそれだった。出生率は最初のベビーブームを上回った。その原因は七〇年代前半に始まっていた大量移民だった。この大量移民の子供たちが成人し自分の子供をもちはじめたとき、その出生率は、移民先のアメリカではなく親の出身国のそれに近かった。二一世紀初めの今日、カリフォルニア州の学童の五人に一人は、少なくとも片親が外国生まれである。
 しかし、一九四〇年代のベビーブームとその後二回の少子化については、原因がわかっていない。いずれの少子化も、理論的にはたくさんの子供をもつはずの好況時に起こった。四〇年代のベビーブームにしても、大きな戦争の直後は出生率が低下するという経験則からはありえないことだった。いまわかっていることは、現代社会の出生率を定めるものが何であるかについては何もわかっていないということだけである。
 人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティにおいてもっとも重要な要因であるだけでなく、もっとも予測しがたく管理しがたい要因である。

少子高齢化時代の株式投資手法を学ぶ

1-3 雇用の変貌

 製造業労働者の減少

 一〇〇年前には先進国においてさえ、圧倒的に多くの人たちが、農場で、ご主人の邸宅で、仕事場で、工場で、身体を使って働いていた。ところが五〇年前には、アメリカではこの種の肉体労働者の人口が労働人口の半分にまで減っていた。そのころ、肉体労働者のなかでも工場労働者が、労働力人口の三五%という単独では最大の階層となった。
 そして、そのまた五〇年後の今日、工場労働者を含む肉体労働者全体が全労働人口に占める割合は、四分の一にまで減った。その約半分が工場労働者である。全労働人口に占める工場労働者の割合は、一〇〇年前の一五%に戻った。
 あらゆる先進国において、製造業労働者の割合は減少の一途をたどっている。これには統計上の問題もある。フォード社で働くデータ処理技術者は製造業労働者とされる。ところが、フォードがデータ処理をアウトソーシングしたとたん、同じ仕事をする同じ人間がサービス労働者とされる。だがこれは、ほとんど無視してよい問題である。あらゆる調査が、製造業労働者は統計が示すように着実に減少しつつあることを明らかにしている。

 増大する知識労働者

 第一次大戦以前は、肉体労働以外で生計を立てている者については、それを表わす言葉さえなかった。サービス労働なる言葉が生まれたのが一九二〇年前後だった。この言葉は当時から曖昧だった。今日、肉体労働者でない者のうち、本当のサービス労働者は半分もいない。先進国社会でもっとも急速に増加している労働力は、サービス労働者ではなく知識労働者である。すなわち、仕事に正規の高等教育を必要とする人たちである。アメリカでは、この知識労働者が全労働力人口の三分の一を越えた。実に工場労働者の倍である。二〇年後には、先進国では全労働力人口の四割に達することになる。
 知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである。今日では、主たる生産手段の所有者は知識労働者である。
 知識労働者は、旧来の意味においても資本家である。年金基金と投資信託の所有者として、知識社会と知識経済における大企業の株主、文字どおりの所有者となっている。
 知識は専門化して、初めて有効となる。ということは、知識労働者は組織と関わりをもたざるをえないことを意味する。組織とは、多分野の知識労働者を糾合し、彼らの専門知識を共通の目標に向けて動員するための人の集合体である。
 したがって、彼ら知識労働者は、自らを、彼らのサービスを利用する組織と同格の存在と自認する。知識社会とは非階層の社会であって、上司と部下の社会ではない。

 女性の活躍

 これらのことすべてが、特に女性にとって大きな意味をもつ。もともと人類の歴史において、女性の役割と男性の役割は同等だった。サロンの有閑マダムなどは、一九世紀の富裕階級においてさえ珍しい存在だった。畑、作業場、店のいずれであっても、夫婦で働かなければやっていけなかった。二〇世紀の初めでさえ、医者は独身では開業できなかった。予約をとり、患者を迎え、加減を聞き、請求書を書く妻を必要とした。
 仕事の内容は男と女で違っていた。男の仕事と女の仕事があった。聖書でも水汲みにいくのは女だった。水汲みの男の話は一つもなかった。糸を紡ぐ男もいなかった。ところが、今日の知識労働の仕事はフェミニズムとは関係なく、男女いずれでも行ないうるがゆえに中性である。
 とはいえ、史上初の知識労働は男女いずれかのものだった。一七九四年に、フランスのエコール・ノルマル(師範学校)の創設によって確立された知識労働としての教職は男のものだった。その六〇年後の一八五三年、クリミア戦争中にフローレンス・ナイチンゲールが生みの親となって生まれた二つ目の知識労働である看護は女のものだった。教職が男女双方の仕事になったのは一八五〇年前後のことであり、アメリカで看護学校の学生の四割が男となったのは、ようやく二〇〇〇年のことである。

 新種の知識労働者―-テクノロジスト

 医師、弁護士、科学者、聖職者、教師は、この一〇〇年間に増加したとはいえ、大昔から存在していた。しかし今日では、二〇世紀以前には存在していなかった新種の知識労働者が急速に増加している。それがテクノロジストである。仕事に身体は使っても、報酬は学校教育で得た知識によって決まる。
 X線技師、超音波技師、理学療法士、精神科ケースワーカー、歯科技工士がいる。特に近年アメリカで最大の増加を見せた職業が、これら医療テクノロジストである。イギリスでも同じことが起こっている。
 コンピュータ、製造、教育のテクノロジストも、今後二、三〇年の間に、さらに増加するはずである。弁護士補助職のような事務テクノロジストも増加する。かつての秘書は、いまや上司の仕事と事務のマネジメントに腕をふるうアシスタントという名の事務テクノロジストである。やがてこれら多様なテクノロジストが、あらゆる先進国において最大の層となり、五〇年代、六〇年代の組織化された工場労働者の地位を占めることになる。
 知識労働者の特質は、自らを労働者ではなく専門家と見なすことにある。医療テクノロジストは、時間の多くを患者ベッドの整理、電話の応対、書類の整理など、さほど熟練を必要としない仕事に使う。だが、彼ら自身及び社会による彼らの位置づけは、学校教育で得た知識によって行なわれる。その部分が彼らを知識労働者として位置づける。
 したがって、知識労働者には二つのものが不可欠である。その一つが、知識労働者としての知識を身につけるための学校教育である。もう一つが、その知識労働者としての知識を最新に保つための継続教育である。
 医師、聖職者、弁護士など旧来の知識労働者のためには、正規の教育が何世紀も前から行なわれていた。しかし、彼ら最近のテクノロジストについては、体系的で組織だった教育が行なわれているのはごくわずかの国でしかない。したがって今後数十年にわたり、あらゆる先進国と新興国において、このテクノロジストのための教育訓練機関が急速に増えていく。
 いままでとの違いは、社会人のための継続教育が加わるということだけである。これまで学校は、仕事に就けば終わりだった。しかし知識社会では、学校に終わりはない。
 知識は急速に陳腐化する。そのため定期的に教室に戻ることが不可欠となる。知識労働者のための継続教育がネクスト・ソサエティにおける成長産業となる。ただし、それが行なわれる場所は学校とはかぎらない。週末のセミナーヘの参加であったり、自宅でのeラーニッグであったりする。IT革命の影響も、学校そのものに対するよりも、この継続教育に対してのほうが大きい。

 知識労働者の自己規定

 知識労働者は、自らの専門領域によって自己規定する。人類学者です、理学療法士です、と名乗る。たとえ働いている企業ヽ大学ヽ政府機関を誇りにしていたとしても、本当に属しているのはそれらの組織ではない。彼らは同じ組織にいる他の分野の者よりも、他の組織にいる同じ分野の者との間により多くの共通点をもつ。
 知識とは専門化である。彼らは自らの専門分野では高度の流動性をもつ。大学、企業、政府機関を変わることに抵抗がない。今日、知識労働者の帰属意識の回復が論じられている。しかし、そのような試みはほとんど無益である。彼らといえども組織への愛着はもつ。居心地のよさも感じる。だが、その忠誠は自らの専門分野にある。
 知識に上下はない。状況への関連の有無しかない。心臓外科医は言語療法士よりも高給であって敬意を払われるかもしれないが、脳溢血患者のリハビリに成果をあげるのは言語療法士のほうである。知識労働者が自らを誰かの部下ではなく自立した存在とみなし、かつそのように遇されることを求めるのはそのためである。
 知識労働者にとっても、他のあらゆる人間にとってと同様、金は重要である。しかし、彼らは金を絶対的な価値とはしない。自らの成果や自己実現の代替とは認めない。仕事が生計の資たった肉体労働者と違い、知識労働者にとって仕事は生きがいである。

 さらによりよい人生を

 知識社会は、上方への移動に制限がないという初めての社会である。知識は、相続も遺贈もできないところが他の生産手段と異なる。あらゆる者が自力で獲得しなければならない。誰もが無知の状態からスタートする。
 知識は、教えることができなければならない。すなわち、公共のものである。誰でもアクセスできる。あるいはただちにアクセスできるようになる。この事実が知識社会に高度の流動性をもたらす。今日では、誰でも学校で知識を身につけられる。徒弟として親方に仕える必要はない。
 かぎりなくチャンスの存在する国アメリカでさえ、信じられているほどの上方への移動はなかっな二〇世紀前半でさえ、経営幹部、管理職、専門職の圧倒的に多くが、農民や小店主や工場労働者の子ではなく、経営幹部、管理職、専門職の子だった。アメリカがヨーロッパと違っていたのは、上方への移動が容易だったことではなく、それが社会において促進され、大事にされ、祝福されていたことにあった。
 知識社会では、この上方への移動が、かつてのアメリカよりもさらに前向きに捉えられる。上方への移動に対する阻害要因はすべて差別としてしりぞけられる。
 このことは、あらゆる人間が成功者たることを期待されるということを意味する。かつての世代にとっては信じられない考えである。もちろん、際立った成功をする者はわずかである。しかしネクスト・ソサエティにおいては、ある程度の成功はあらゆる人間に期待される。
 これからの知識社会においては、きわめて多くの人間、おそらく過半の人間が、金銭的な安定よりもはるかに重要なこと、すなわち自らの社会的な位置づけと豊かさを実感することになる。

 成功の代償

 知識社会に特有の上方への移動は高い代償をともなう。それは競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである。敗者がいるからこそ勝者がいる。昔の社会はそうではなかった。無産者の子は、無産者であっても敗者ではなかった。ところが知識社会では、敗者がいるだけでなく、敗者の存在は社会の罪とさえされる。
 日本の生徒には、睡眠不足による注意力散漫が見られるという。毎夜の塾通いのせいである。塾に行かなければ、有名大学に入れず、よい就職ができない。この大学受験のプレッシャーが勉強嫌いを生む。さらに、日本の美点である経済的な平等性を蝕む。金権主義までもたらす。有名大学への環境を整えられるのは経済的なゆとりのある家庭だけである。
 アメリカ、イギリス、フランスでも、学校がおそるべき競争の場になっている。このような種類の競争が三〇年、四〇年という短い年月の間に発生し、かつ激化したということは、失敗に対する恐怖心が、すでに知識社会の隅々に浸透してしまったことを示している。
 しかもそのような競争のあとでは、ますます多くの成功した知識労働者、すなわち企業の管理職、大学の教員、美術館の幹部、医者たちも、四〇代、五〇代にして燃えっきることになる。すでに来られるところまで来てしまったことを自覚する。
 そのとき、できることが仕事だけであるならば問題が生ずる。したがって知識労働者たる者は、若いうちに非競争的な生活とコミュニティをつくりあげておかなければならない。コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラヘの参加、小さな町での公職など仕事以外の関心事を育てておく必要がある。やがてそれらの関心事が、万が一にも仕事に燃えつきたとき、貢献と自己実現の場を与えてくれることになる。

退職後も稼ぎ続けるためのFX投資の鉄則

1-4 製造業のジレンマ

 製造業の相対的地位の変化

 二〇世紀の末、鉄鋼業の主軸製品たる自動私用鋼板の世界価格が、トン当たり四六〇ドルから二六〇ドルに暴落した。ところが、そのときアメリカ経済はブームに沸き、ヨーロッパのほとんどが好況にあった。自動車生産量は過去最大となっていた。
 この鉄鋼業の経験こそ、今日製造業が直面する問題の典型である。一九六〇年から九九年の間に、アメリカでは製造業のGNP及び雇用に占める割合が、いずれもわずか一五%へと半減した。ところがこの同じ四〇年間に、製造業の生産量は倍増どころか三倍近くに達した。一九六〇年には、製造業は先進国経済の中核だった・ところが二〇〇〇年には、GNPへの寄与において金融サービス業に抜かれていた。
 製造業製品の購買力は、過去四〇年間で四分の一になった。製造業製品の実質価格が四〇%下落したのに対し、特に二つの知識産業サービス、すなわち医療と教育の実質価格は物価上昇率の三倍上昇した。その結果、同一の知識産業サービスを享受するには、四〇年前と比べて、五倍の製造業製品を必要とすることになった。
 製造業労働者の購買力も、彼らが製造する製品よりはましだったが、やはり下落した。生産性の急速な伸びによって、かろうじて実質収入を維持したにすぎなかった。しかも四〇年前、製造業製品に占める労働コストの割合は三〇%だったが、今日では一二%から一五%である。製造業のなかでは労働集約的な部類に属する自動車産業さえ、最新鋭の工場の労働コストは二〇%以下になっている。
 製造業の生産性を向上させ、同時に製造業の中身を変えたものが新しい製造のコンセプトだった。情報化やオートメ化よりも、それら新しいコンセプトの確立のほうが大きな役割を果たした。まさにそれらのものは、八〇年前の大量生産のコンセプト並みの成果をもたらした。その一つであるトヨタのリーン生産方式などは、ロボット、コンピュータ、オートメ機器の類さえ不要にするものだった。有名な例が、スーパーで売っているヘアドライヤーにより、コンピュータ制御の塗装ラインが不要になったことだった。

 雇用の減少と社会不安

 これからの製造業が、かつての農業ほど生産量を増加させることはない。逆にかつての農業ほど富と雇用の創出者としての地位を失うこともない。しかし信頼すべき推計によれば、二〇二〇年には先進国の製造業の生産量は今日の倍以上になるが、その雇用は就業者人口の一二%あるいは一〇%に縮小するという。
 実はアメリカでは、製造業をめぐるこれらの転換は、さしたる混乱もなくすでに終わっている。被害を受けたのは、製造業の雇用の伸びが生活水準の向上に直接つながっていた黒人だけだった。大工場に雇用を依存していた地域においてさえ、失業率が上がったのは一時のことだった。政治さえほとんど影響を受けなかった。
 しかし他の先進国が、この難局をアメリカのように簡単に乗り越えられるかは疑問である。イギリスでは、社会心理的には大きな影響を受けたものの、社会不安にはいたらなかった。しかし、労働市場がおそろしく硬直的で、ついこの間まで教育による上方への社会移動がほとんど不可能だったドイツやフランスでは、どのようなことになるだろうか。すでにドイツはルール地方に、フランスはリール地方に膨大な失業をかかえ、社会不安をともなう辛い転換期に直面している。

 日本は?

 この点に関してよくわからない国が日本である。日本にはいわゆる労働者階級の文化というものがない。日本は上方への社会移動の手段としての教育にも敬意を払ってきた。
 しかし日本社会の安定は、雇用の安定、特に大規模製造業における雇用の安定に依存するところが大きかった。いま、その雇用の安定が急速に崩れつつある。一九五〇年代に雇用が安定するまでは、日本は世界でもっとも激しい労働争議に明け暮れしていた。しかも日本は、製造業雇用が全就業者人口の四分の一という先進国では最高の水準にある。労働力市場といえるものも、労働の流動性もないに等しい。
 社会心理的にも、日本は製造業の地位の変化を受け入れる心構えができていない。日本は二〇世紀の後半、製造業の力によって経済大国の地位を獲得した。
 もちろん日本を軽く見ることはできない。日本はその歴史において、新たな現実に直面し、文字どおり一夜にして転換をなしとげた実績をもつ。だが、経済発展の主役としての製造業の地位の変化が、日本のかつての難局のいずれにも劣ることのない大問題であることに違いはない。

 途上国の道

 こうして今日、富と雇用の生み手としての製造業の地位の変化が、世界の経済的、社会的、政治的な様相を変えつつある。それは、途上国が経済発展の奇跡を行なうことをますます難しくしている。日本、韓国、台湾、香港、シンガポールなど二〇世紀後半に見られた経済発展の奇跡は、先進国から導入した技術と生産性に低賃金を組み合わせることによって実現された。だが、もはやそのようなことは不可能である。
 これからは、それらの国が経済発展を図るには先進国経済との統合しかない。まさにこの政策こそ、メキシコの新大統領ヴィンセント・フォックスが、北アメリカ経済圏の統合、すなわちアメリカ、カナダ、メキシコの完全統合によって実現しようとしているものである。経済的にはきわめて合理的でありながら、政治的にはきわめて困難な政策である。
 もう一つの政策は、中国が推進している自国内に市場を創出する試みである。少なくとも理論的には、インド、ブラジル、メキシコは経済発展の基盤としうる市場をもてるだけの人口をもつ。しかしそれでは、パラグアイやタイなど小国の途上国は、、ブラジルなど新興の大国の大市場へのアクセスを許されるのだろうか。

 新種の保護主義

 価値と雇用の創出者としての製造業の後退は、かつて農業の後退にともなって見られた保護主義をもたらさざるをえない。二〇世紀を通じあらゆる先進国において、農産物価格と農業従事者の一%の減少につき二%を超える補助金の増額が行なわれてきた。しかも農業従事者の減少にともない、農民票の重要性が高まった。先進社会では、農民は数を減らすほど団結し、利害集団として不釣り合いともいうべき発言力をもった。
 これからの製造業に対する保護的措置は、関税ではなく補助の形をとる。EU、NAFTA、メルコスールなどの地域経済共同体は、加盟国間の障壁をなくすことによって膨大な地域市場を生みだす。同時に非加盟国に対し、障壁を設けることによってその市場を保護する。すでに多様な非関税障壁を設けている。
 そのうえ、いかに理由が正当であろうとも、途上国に対する労働環境と環境対策の整備の要求は、彼らの輸出にとって強力な阻害要因となる。

 保護は有効か

 アメリカでも、製造業は雇用を減少させるほど政治的な影響力を強めている。特にこの間の大統領選挙では、労組票が著しく重要な意味をもった。有権者に占める労働組合員の割合が小さくなったための現象だった。危機感を強めた労組が強力な引き締めを行なった。かつては、かなりの数の労働組合員が共和党候補に投票した。今回の大統領選では、労働組合員の九割が民主党のゴア候補に投票した。
 これまでの一〇〇年間、アメリカの労働組合は、少なくとも主張としては自由貿易主義だった。ところがこの数年、保護貿易主義への傾斜を強め、ついには反グローバル化を宣言するにいたった。雇用への脅威は、実は国際競争ではなく、価値と雇用の創出者としての役割の低下にあることなどは棚に上げている。彼らは、雇用の減少と生産の増大という新しい現実を理解できない。政治家、マスコミ、経済学者、世論もこれを理解できない。
 しかも圧倒的に多くの人たちが、製造業雇用の減少を製造業の基盤を脅かす危機と捉え、保護の必要を説く。史上初めて、社会と経済が肉体的な労働を中心とするものではなくなり、一国の存統と繁栄にとっては、身体を使って仕事をする者の数はそれほど必要としなくなったことを受け入れられない。
 保護主義は、経済的な利害と政治的な力学に加え、情緒的な郷愁と偏狭な愛国心によって勢力を伸ばす。だが、そこからは何も生まれない。成熟産業に対する保護は無効である。すでに七〇年に及ぶ農業保護の経験が明確に示している。
 教訓は明らかである。過剰雇用の成熟産業に金を注ぎ込む政策は害をなすだけである。それらの金は、一時解雇された高年者を助け、若年者を再教育し再雇用するために使わなければならない。

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1-5 企業のかたちが変わる

 近代企業についての五つのパラダイム

 一八七〇年前後に誕生して以来、近代企業については五つのことが当然とされてきた。
 第一に、企業が主人、社員が従者とされた。企業が生産手段の所有者だった。したがって、企業が社員を必要とする以上に、社員が企業を必要とした。
 第二に、社員のほとんどがフルタイムで働くものとされた。そこで得る所得が生計の資のすべてだった。
 第三に、事業は、必要とされるあらゆる活動を一つの経営陣の傘下に入れることによって。、もっともよくマネジメントできるとされた。
 第四に、市場では、供給側、特にメーカーが主導権をもつとされた。製品やサービスの情報は供給側かもっていた。需要側としてできることはブランドを信頼することだけだった。
 第五に、あらゆる技術がそれぞれの産業に属し、逆にあらゆる産業がそれぞれに特有の技術をもつとされた。製鉄の技術は鉄鋼業でしか使えず、しかも鉄鋼業でしか生まれないとされた。同じことは製紙業、農業、金融サービス業、商業においてもいわれた。
 同じように、あらゆる製品とサービスがそれぞれの最終用途をもつとされた。そして、あらゆる最終用途にそのための製品とサービスがあるとされた。

 パラダイムの変化

 これらのことは、ほぽ一世紀の間、当然とされた。ところが一九七〇年ごろに、すべてが変わった。
 第一に、知識が主たる生産手段、すなわち資本となった。知識は一人ひとりの知識労働者が所有する。それは携帯可能である。科学者だけでなく、理学療法士、コンピュータ技師、弁護士補助職についてもいえる。したがって、いまや知識労働者が、資金の提供者と同じように資本を提供している。両者は完全な相互依存関係にある。こうして知識労働者が企業にとっての同僚、パートナーとして同格になった。
 第二に、今日でも働き手の半分以上がフルタイムで働き、そこから得るものを唯一または主たる生計の資としているものの、ますます多くが正社員ではなくパートタイム社員、臨時社員、契約社員、顧問として働くようになった。たとえフルタイムであっても、働いている企業の社員ではなく、アウトソーシング先の社員となった。
 第三に、もともと取引コストはそれほど高いものではなかった。すべてを内製したフォード社は、やがてマネジメント不能に陥った。今日では、すべてを傘下に入れるという考えそのものが無効になっている。一つの原因は、企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化したためだった。内部で維持するには費用がかかりすぎるものとなった。しかも、知識は常時使わなければ劣化する。それゆえ、時折の仕事を内部で行なっていたのでは成果をあげられなくなる。
 もう一つの原因は、コミュニケーション・コストが軽視しうるほど安くなったためだった。それはIT革命以前の、ごく普通のビジネス能力の拡がりによるものだった。
 今日にいたっては、インターネットやeメールのおかげで、コミュニケーション・コストはコストとさえいえないところまで下がった。
 加えて、もっとも生産的なマネジメントは、統合ではなく分散であることが明らかになった。あらゆる活動がそうなった。その結果、まず初めにIT関連業務、データ処理、コッピューターシステムのアウトソーシングが一般化した。
 ごく最近にいたっては、多くの企業が、採用、解雇、教育、給与、手当て、人事、厚生の業務を包括して雇用業務代行会社(PEO:プロフェッショナル・エンプロイヤー・オーガニゼーショッ)にアウトソーシングするようになった。それら雇用業務代行会社に業務をアウトソーシングするクライアント企業の社員総数は、すでに二〇〇万人を越えた。産業としてスタートして一〇年そこそこにもかかわらず、雇用業務代行業は現在年率三〇%で成長している。
 第四に、今日では情報をもっているのは顧客のほうである。まだインターネットには、探したいものをすぐに見つけてくれる電話帳のようなものは現われていない。クリックして探し回らなければならない。しかし、情報はどこかのサイトにある。事実、それらの情報を探してくれるサーチ会社が急速に伸びている。
 情報をもつ者が力をもつ。こうして、いまや最終消費者であろうと企業であろうと、買い手に主道権が移行した。要するに、供給者たるメーカーは、売り手であることをやめ、消費者のための買い手にならなければならなくなったということである。これはすでに起こっていることである。

 秩序の崩壊

 第五に、もはやいかなる産業、企業にも、独自の技術というものがありえなくなった。産業として必要とする知識が、馴染みのない異質の技術から生まれるようになった。電話会社は、ファイバーグラスについては何も知らなかった。開発したのはガラス・メーカーのコーニング社だった。
 逆に、世界一の企業研究所だったベル研究所の第二次大戦後の発明の半分以上が、電話産業以外のところで使われた。その典型が、この五〇年間における最大の発明品トランジスタだった。AT&Tはこの大発明の使途を想定しえず、ほとんどただ同然でライセンスを与えていった。初めにソニー、続いて他の日本企業が電子機器産業で成長できたのはそのおかげだった。
 事業の発展は、企業の内部からではなく、他の組織や技術とのパートナーシップ、合弁、提携、少数株式参加、ノウハウ契約からもたらされるようになった。企業と大学の学部、市役所や州政府と道路清掃や刑務所管理を請け負う企業というように、異質の組織間の提携という五〇年前には考えられなかったことが当たり前になっている。
 そのうえ、いかなる製品やサービスといえども、最終用途、利用範囲、市場を独占することができなくなった。商業金融に対してはコマーシャル・ペーパーが現われ、ガラス瓶に対しては紙パック、プラスチック容器、アルミ缶が現われた。家の間柱には木材、鉄やプラスチックが使われている。生命保険は年金に押され、金融サービス業は生命保険に押されている。
 その結果、ガラス・メーカーのような素材産業でさえ、使う原材料ではなく、得意とする事業によって自らを再定義しなければならなくなった。

 近代企業のコンセプトの変化

 すでに一つのことが確実である。間もなく多様な企業モデルが生まれる。
 近代企業は、アメリカ、ドイツ、日本の三力国で、ほぼ同時に、かつ互いに関係なく生まれた。それは、それまでの個人会仕とは似たところさえない異質のものだった。
 近代企業といえども国による違いはあった。適用される法律も違った。だが、それよりも産業別の違いが大きかった。産業によって、企業風土、価値観、言葉が違っていた。銀行同士はどこも同じだったし、小売りやメーカー同士も同じだった。だが、銀行は小売りやメーカーとは違っていた。このことは、政府機関、軍、病院、大学などあらゆる近代組織についていえた。
 ところが、一九七〇年ごろを境に状況が変わった。まず、年金基金と投資信託が企業の新しい所有者として登場したことによって変わった。続いて、さらに決定的な要因として、知識労働者が経済活動における最大の資源、社会における代表的な存在として登場したことによって変わった。もたらされたものは、近代企業なるもののコンセプトの変化だった。
 ネクスト・ソサエティにおいても、銀行が病院に似てくることはない。病院のようにマネジメントされることもない。しかし、銀行そのものが多様化する。労働力、技術、市場の変化への対応の違いによって多種多様となる。特に組織とその構造、働き手への報い方について多様なモデルが生まれる。

 多様な人間組織

 しかも、企業、政府機関、NPOのいずれもが、独自にマネジメントされつつ、密接に連携する多様な人間組織を複数もつことになる。
 もちろん、それらのなかにはフルタイムで働く従来型の正社員からなる組織がある。同時に、密接なつながりをもちつつも別個にマネジメントされる組織として、社員ではなく嘱託として働く高年者からなる組織がある。周辺的な存在として、フルタイムではあっても社員としての契約関係がなく直接の管理下にはない人たちの組織、すなわちアウトソーシング先の組織がある。それら自らの管理外にありながら、しかも成果をあげてもらわなければならない人たちからなる組織が増えてくる。
 それらの人たちの知識に貢献してもらわなければならない。だがそのための具体的な方法は、今日ナレッジ・マネジメントがしきりに言われているにもかかわらず、まだ試行錯誤の段階にある。

 意欲の源泉

 実はこれら多様な組織形態のもとにある人たちこそ、仕事に満足できなければならない。そのような人たちを惹きつけ留まってもらうことが、人事の中心課題となる。何か役に立たないかは明らかである。金で釣ることである。
 知識労働者にとっても、報酬は大事である。報酬の不満は意欲をそぐ。しかし意欲の源泉は、金以外のところにある。
 知識労働者のマネジメントは、彼らが組織を必要とする以上に、組織が彼らを必要とするとの前提のもとに行なわなければならない。彼らは、いつでも辞められることを知っている。働く場を変わる能力をもち、自信をもつ。要するに、NPOのボランティアのように扱い、マネジメントしなければならない。
 知識労働者にとって重要なことは、第一に組織が何をしようとしており、どこへ行こうとしているかを知ることである。第二に、責任を与えられ、かつ自己実現することである。もっとも適したところに配置されることである。第三に、継続学習の機会をもつことである。そして、何よりも敬意を払われることである。彼ら自身よりも、むしろ彼らの専門分野が敬意を払われることである。

 企業体から連合体へ

 今日の組織のコンセプトと構造は、八〇年前にGMが発展させたものである。トップマネジメントのコンセプトを生み出したのもGMだった。
 ところが、そのGMが多様な組織モデルを模索中である。GMは、所有権に基づく管理権限によって事業活動の統合を図る企業モデルから、マネジメントによって統合を図る連合体へと変身しようとしている。所有権については少数株式の保有にとどめている場合も少なくない。
 他方、GMはデルファイなる新会社を設立し、自動車の生産コストの六割から七割を占める部品部門を分離した。しかも将来は、部品メーカーの所有やマネジメントからも手を引き、オークション形式のeコマースによって部品を調達するという。すでにフォード社とダイムラー・クライスラー社という二大ライバルと手を組み、世界中どこからでも部品を調達する購買組合的な仕組みを立ちあげた。他のメーカーにも広く参加を呼びかけている。
 GMは車を設計し、エンジンをつくり、組み立てを行なう。そして自らのディーラー網を通じて販売する。加えて、GMは自社製品にこだわることなく、ユーザーのための最適の車を探す自動車商人になろうとしている。

 トヨタ生産方式の展開

 GMは依然として世界最大の自動車メーカーである。しかし過去二〇年間、もっとも成功してきた自動車メーカーがトヨタである。
 トヨタもGMと同じように世界的に事業を展開している。しかし同社は、製造における自らのコア・コンピタンス(中核的強み)を中心に事業を組み立てようとしている。現在、すべての部品の調達を二社以内とすべく、部品メーカーの絞り込みを行なっているところである。しかも、それら独立 した部品メーカーの生産活動のマネジメントの面倒を見ていくことにしている。それらの部品メーカーは、トヨタの生産コンサルティング組織からの助言と指導を条件に、部品納入を契約する。そして、トヨタがそれら部品の設計のほとんどを行なう。
 トヨタでは、最終的には、自らの製造に関わるコア・コンピタンスを事業化し、そのコンサルティング業務を自動車以外のメーカーにも提供するという。

 新たなビジネスモデル

 ある大手消費財ブランドメーカーが着手した新しい事業もある。このメーカーでは製品の六割を一五〇の小売りチェーンを通じて販売している。さらに現在、eコマースによって世界中の消費者から直接注文を取り、近くの小売店に取りにきてもらうか、小売店のほうから配達するシステムを構築中である。
 しかもこのメーカーは、まさにこの部分がイノペーションと呼ぶべきものであるが、他のメーカー、特に中小メーカーの自社製品と競合しないあらゆる商品を扱うことにしている。商品をスーパーの棚に並べられない中小のメーカーのお役に立とうというわけである。
 グローバルなインターネットが、それらの中小のメーカーに対し、世界中の消費者に対するアクセスと、既存の小売り網による配達を可能にする。そして、この大手消費財メーカーと小売りチェーンは、新たに投資を行なうことなく、リスクを冒すこともなく、動きの鈍い商品に売り場を占領されることもなく、正当なマージンを手にする。
 新しいビジネスモデルについては、すでに多様な例がある。すでに紹介したように、アメリカのあるメーカーは、競争関係にある日本の電子機器メーカー数社の下請けになっている。あるソフトウェア会社は、これも競争関係にあるハードウェア・メーカーのためにソフトの設計を行なっている。あるカード会社は、銀行のためにカード事業の立ち上げ、マーケテイング、請求業務を行なっている。銀行が行なうのは資金の供給だけである。
 とはいえ、ここにあげた例は、すべて在来型の企業モデルに基づいて事業を行なっている。ところが今日では、旧来の企業のコンセプトに従わないものまで現われている。
 その一つが、EUに最近設立された異業種によるシンジケートである。すべて同族経営の中堅企業がメンバーである。いずれも、高度のエンジニアリングを必要とする製品のリーダー的地位にある企業であって、かつ輸出依存度の高い企業である。それぞれがあくまでも独立性を維持し、独自の製品を開発する。それぞれが自社の工場で生産し、独自の市場をもつ。
 ところが新興国や途上国の市場については、シンジケートがメンバーのために所有する工場や、シンジケートがアレンジした現地の下請け工場で生産を行なう。それらの市場では、シンジケートが製品の販売と流通を引き受け、アフターサービスを行なう。シンジケートはメンバー企業によって分担所有され、シンジケートのほうもメンバー企業の株式を若干保有する。
 この事業形態については思い当たることがあるはずである。モデルとなったのは、一九世紀の農業協同組合である。

成長するグローバル企業への投資で富を生み出す方法

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Author:studynextsociety
ピーター・F・ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ ―歴史が見たことの無い未来がはじまる―」を一部引用しながら経営や社会について学ぶためのブログです。
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