近代企業についての五つのパラダイム
一八七〇年前後に誕生して以来、近代企業については五つのことが当然とされてきた。
第一に、企業が主人、社員が従者とされた。企業が生産手段の所有者だった。したがって、企業が社員を必要とする以上に、社員が企業を必要とした。
第二に、社員のほとんどがフルタイムで働くものとされた。そこで得る所得が生計の資のすべてだった。
第三に、事業は、必要とされるあらゆる活動を一つの経営陣の傘下に入れることによって。、もっともよくマネジメントできるとされた。
第四に、市場では、供給側、特にメーカーが主導権をもつとされた。製品やサービスの情報は供給側かもっていた。需要側としてできることはブランドを信頼することだけだった。
第五に、あらゆる技術がそれぞれの産業に属し、逆にあらゆる産業がそれぞれに特有の技術をもつとされた。製鉄の技術は鉄鋼業でしか使えず、しかも鉄鋼業でしか生まれないとされた。同じことは製紙業、農業、金融サービス業、商業においてもいわれた。
同じように、あらゆる製品とサービスがそれぞれの最終用途をもつとされた。そして、あらゆる最終用途にそのための製品とサービスがあるとされた。
パラダイムの変化
これらのことは、ほぽ一世紀の間、当然とされた。ところが一九七〇年ごろに、すべてが変わった。
第一に、知識が主たる生産手段、すなわち資本となった。知識は一人ひとりの知識労働者が所有する。それは携帯可能である。科学者だけでなく、理学療法士、コンピュータ技師、弁護士補助職についてもいえる。したがって、いまや知識労働者が、資金の提供者と同じように資本を提供している。両者は完全な相互依存関係にある。こうして知識労働者が企業にとっての同僚、パートナーとして同格になった。
第二に、今日でも働き手の半分以上がフルタイムで働き、そこから得るものを唯一または主たる生計の資としているものの、ますます多くが正社員ではなくパートタイム社員、臨時社員、契約社員、顧問として働くようになった。たとえフルタイムであっても、働いている企業の社員ではなく、アウトソーシング先の社員となった。
第三に、もともと取引コストはそれほど高いものではなかった。すべてを内製したフォード社は、やがてマネジメント不能に陥った。今日では、すべてを傘下に入れるという考えそのものが無効になっている。一つの原因は、企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化したためだった。内部で維持するには費用がかかりすぎるものとなった。しかも、知識は常時使わなければ劣化する。それゆえ、時折の仕事を内部で行なっていたのでは成果をあげられなくなる。
もう一つの原因は、コミュニケーション・コストが軽視しうるほど安くなったためだった。それはIT革命以前の、ごく普通のビジネス能力の拡がりによるものだった。
今日にいたっては、インターネットやeメールのおかげで、コミュニケーション・コストはコストとさえいえないところまで下がった。
加えて、もっとも生産的なマネジメントは、統合ではなく分散であることが明らかになった。あらゆる活動がそうなった。その結果、まず初めにIT関連業務、データ処理、コッピューターシステムのアウトソーシングが一般化した。
ごく最近にいたっては、多くの企業が、採用、解雇、教育、給与、手当て、人事、厚生の業務を包括して雇用業務代行会社(PEO:プロフェッショナル・エンプロイヤー・オーガニゼーショッ)にアウトソーシングするようになった。それら雇用業務代行会社に業務をアウトソーシングするクライアント企業の社員総数は、すでに二〇〇万人を越えた。産業としてスタートして一〇年そこそこにもかかわらず、雇用業務代行業は現在年率三〇%で成長している。
第四に、今日では情報をもっているのは顧客のほうである。まだインターネットには、探したいものをすぐに見つけてくれる電話帳のようなものは現われていない。クリックして探し回らなければならない。しかし、情報はどこかのサイトにある。事実、それらの情報を探してくれるサーチ会社が急速に伸びている。
情報をもつ者が力をもつ。こうして、いまや最終消費者であろうと企業であろうと、買い手に主道権が移行した。要するに、供給者たるメーカーは、売り手であることをやめ、消費者のための買い手にならなければならなくなったということである。これはすでに起こっていることである。
秩序の崩壊
第五に、もはやいかなる産業、企業にも、独自の技術というものがありえなくなった。産業として必要とする知識が、馴染みのない異質の技術から生まれるようになった。電話会社は、ファイバーグラスについては何も知らなかった。開発したのはガラス・メーカーのコーニング社だった。
逆に、世界一の企業研究所だったベル研究所の第二次大戦後の発明の半分以上が、電話産業以外のところで使われた。その典型が、この五〇年間における最大の発明品トランジスタだった。AT&Tはこの大発明の使途を想定しえず、ほとんどただ同然でライセンスを与えていった。初めにソニー、続いて他の日本企業が電子機器産業で成長できたのはそのおかげだった。
事業の発展は、企業の内部からではなく、他の組織や技術とのパートナーシップ、合弁、提携、少数株式参加、ノウハウ契約からもたらされるようになった。企業と大学の学部、市役所や州政府と道路清掃や刑務所管理を請け負う企業というように、異質の組織間の提携という五〇年前には考えられなかったことが当たり前になっている。
そのうえ、いかなる製品やサービスといえども、最終用途、利用範囲、市場を独占することができなくなった。商業金融に対してはコマーシャル・ペーパーが現われ、ガラス瓶に対しては紙パック、プラスチック容器、アルミ缶が現われた。家の間柱には木材、鉄やプラスチックが使われている。生命保険は年金に押され、金融サービス業は生命保険に押されている。
その結果、ガラス・メーカーのような素材産業でさえ、使う原材料ではなく、得意とする事業によって自らを再定義しなければならなくなった。
近代企業のコンセプトの変化
すでに一つのことが確実である。間もなく多様な企業モデルが生まれる。
近代企業は、アメリカ、ドイツ、日本の三力国で、ほぼ同時に、かつ互いに関係なく生まれた。それは、それまでの個人会仕とは似たところさえない異質のものだった。
近代企業といえども国による違いはあった。適用される法律も違った。だが、それよりも産業別の違いが大きかった。産業によって、企業風土、価値観、言葉が違っていた。銀行同士はどこも同じだったし、小売りやメーカー同士も同じだった。だが、銀行は小売りやメーカーとは違っていた。このことは、政府機関、軍、病院、大学などあらゆる近代組織についていえた。
ところが、一九七〇年ごろを境に状況が変わった。まず、年金基金と投資信託が企業の新しい所有者として登場したことによって変わった。続いて、さらに決定的な要因として、知識労働者が経済活動における最大の資源、社会における代表的な存在として登場したことによって変わった。もたらされたものは、近代企業なるもののコンセプトの変化だった。
ネクスト・ソサエティにおいても、銀行が病院に似てくることはない。病院のようにマネジメントされることもない。しかし、銀行そのものが多様化する。労働力、技術、市場の変化への対応の違いによって多種多様となる。特に組織とその構造、働き手への報い方について多様なモデルが生まれる。
多様な人間組織
しかも、企業、政府機関、NPOのいずれもが、独自にマネジメントされつつ、密接に連携する多様な人間組織を複数もつことになる。
もちろん、それらのなかにはフルタイムで働く従来型の正社員からなる組織がある。同時に、密接なつながりをもちつつも別個にマネジメントされる組織として、社員ではなく嘱託として働く高年者からなる組織がある。周辺的な存在として、フルタイムではあっても社員としての契約関係がなく直接の管理下にはない人たちの組織、すなわちアウトソーシング先の組織がある。それら自らの管理外にありながら、しかも成果をあげてもらわなければならない人たちからなる組織が増えてくる。
それらの人たちの知識に貢献してもらわなければならない。だがそのための具体的な方法は、今日ナレッジ・マネジメントがしきりに言われているにもかかわらず、まだ試行錯誤の段階にある。
意欲の源泉
実はこれら多様な組織形態のもとにある人たちこそ、仕事に満足できなければならない。そのような人たちを惹きつけ留まってもらうことが、人事の中心課題となる。何か役に立たないかは明らかである。金で釣ることである。
知識労働者にとっても、報酬は大事である。報酬の不満は意欲をそぐ。しかし意欲の源泉は、金以外のところにある。
知識労働者のマネジメントは、彼らが組織を必要とする以上に、組織が彼らを必要とするとの前提のもとに行なわなければならない。彼らは、いつでも辞められることを知っている。働く場を変わる能力をもち、自信をもつ。要するに、NPOのボランティアのように扱い、マネジメントしなければならない。
知識労働者にとって重要なことは、第一に組織が何をしようとしており、どこへ行こうとしているかを知ることである。第二に、責任を与えられ、かつ自己実現することである。もっとも適したところに配置されることである。第三に、継続学習の機会をもつことである。そして、何よりも敬意を払われることである。彼ら自身よりも、むしろ彼らの専門分野が敬意を払われることである。
企業体から連合体へ
今日の組織のコンセプトと構造は、八〇年前にGMが発展させたものである。トップマネジメントのコンセプトを生み出したのもGMだった。
ところが、そのGMが多様な組織モデルを模索中である。GMは、所有権に基づく管理権限によって事業活動の統合を図る企業モデルから、マネジメントによって統合を図る連合体へと変身しようとしている。所有権については少数株式の保有にとどめている場合も少なくない。
他方、GMはデルファイなる新会社を設立し、自動車の生産コストの六割から七割を占める部品部門を分離した。しかも将来は、部品メーカーの所有やマネジメントからも手を引き、オークション形式のeコマースによって部品を調達するという。すでにフォード社とダイムラー・クライスラー社という二大ライバルと手を組み、世界中どこからでも部品を調達する購買組合的な仕組みを立ちあげた。他のメーカーにも広く参加を呼びかけている。
GMは車を設計し、エンジンをつくり、組み立てを行なう。そして自らのディーラー網を通じて販売する。加えて、GMは自社製品にこだわることなく、ユーザーのための最適の車を探す自動車商人になろうとしている。
トヨタ生産方式の展開
GMは依然として世界最大の自動車メーカーである。しかし過去二〇年間、もっとも成功してきた自動車メーカーがトヨタである。
トヨタもGMと同じように世界的に事業を展開している。しかし同社は、製造における自らのコア・コンピタンス(中核的強み)を中心に事業を組み立てようとしている。現在、すべての部品の調達を二社以内とすべく、部品メーカーの絞り込みを行なっているところである。しかも、それら独立 した部品メーカーの生産活動のマネジメントの面倒を見ていくことにしている。それらの部品メーカーは、トヨタの生産コンサルティング組織からの助言と指導を条件に、部品納入を契約する。そして、トヨタがそれら部品の設計のほとんどを行なう。
トヨタでは、最終的には、自らの製造に関わるコア・コンピタンスを事業化し、そのコンサルティング業務を自動車以外のメーカーにも提供するという。
新たなビジネスモデル
ある大手消費財ブランドメーカーが着手した新しい事業もある。このメーカーでは製品の六割を一五〇の小売りチェーンを通じて販売している。さらに現在、eコマースによって世界中の消費者から直接注文を取り、近くの小売店に取りにきてもらうか、小売店のほうから配達するシステムを構築中である。
しかもこのメーカーは、まさにこの部分がイノペーションと呼ぶべきものであるが、他のメーカー、特に中小メーカーの自社製品と競合しないあらゆる商品を扱うことにしている。商品をスーパーの棚に並べられない中小のメーカーのお役に立とうというわけである。
グローバルなインターネットが、それらの中小のメーカーに対し、世界中の消費者に対するアクセスと、既存の小売り網による配達を可能にする。そして、この大手消費財メーカーと小売りチェーンは、新たに投資を行なうことなく、リスクを冒すこともなく、動きの鈍い商品に売り場を占領されることもなく、正当なマージンを手にする。
新しいビジネスモデルについては、すでに多様な例がある。すでに紹介したように、アメリカのあるメーカーは、競争関係にある日本の電子機器メーカー数社の下請けになっている。あるソフトウェア会社は、これも競争関係にあるハードウェア・メーカーのためにソフトの設計を行なっている。あるカード会社は、銀行のためにカード事業の立ち上げ、マーケテイング、請求業務を行なっている。銀行が行なうのは資金の供給だけである。
とはいえ、ここにあげた例は、すべて在来型の企業モデルに基づいて事業を行なっている。ところが今日では、旧来の企業のコンセプトに従わないものまで現われている。
その一つが、EUに最近設立された異業種によるシンジケートである。すべて同族経営の中堅企業がメンバーである。いずれも、高度のエンジニアリングを必要とする製品のリーダー的地位にある企業であって、かつ輸出依存度の高い企業である。それぞれがあくまでも独立性を維持し、独自の製品を開発する。それぞれが自社の工場で生産し、独自の市場をもつ。
ところが新興国や途上国の市場については、シンジケートがメンバーのために所有する工場や、シンジケートがアレンジした現地の下請け工場で生産を行なう。それらの市場では、シンジケートが製品の販売と流通を引き受け、アフターサービスを行なう。シンジケートはメンバー企業によって分担所有され、シンジケートのほうもメンバー企業の株式を若干保有する。
この事業形態については思い当たることがあるはずである。モデルとなったのは、一九世紀の農業協同組合である。
成長するグローバル企業への投資で富を生み出す方法