急速に進行する少子高齢化
世界三位の経済大国ドイツでは、今日六五歳超人口が全人口の五分の一を占める。これが二〇三〇年には、二分の一近くへと急増する。今日の出生率一・三という数字に大きな変化がないかぎり、三五歳未満人口は、この高年人口の増加の倍のスピードで減少する。その結果、ドイツの人口そのものが、現在の八二〇〇万から七三〇〇万あるいは七〇〇〇万へと減少する。就労年齢人口は、今日の四○○○万から三〇〇〇万へと四分の一減少する。
このドイツの人口変化は例外ではない。世界二位の経済大国日本では、人口は二〇〇五年に一億二五〇〇万のピークに達する。二〇五一年には一億人を切る。そのかなり手前の二〇三〇年においてさえ、六五歳超人口が成人人口の半数を占めるにいたる。日本の出生率はドイツ並みの一・三である。
これらの数字は、フランス、イタリア、オランダ、スウェーデン、スペイン、ポルトガルなど他の先進国でも変わらない。新興国でさえ変わらない。中国もそうである。イタリア中部、フランス南部、スペイン南部にいたっては、ドイツや日本よりも出生率が低い。
とはいえ、この高年人口の増加は三〇〇年の趨勢の延長線上にある。これに対し、若年人口の減少こそまったく新しい現象である。今日のところ、若年人口の減少に見舞われていない先進国はアメリカだけである。そのアメリカさえ、出生率は人口を維持できる水準にない。成人人口における高年人口の割合は、今後三〇年間、アメリカでも着実に上昇していく。
このことは、先進国の政治において高年者の支持が重要になることを意味する。すでに年金改革は選挙公約の柱である。移民の受け入れは人口維持や労働力確保の観点から論じられるようになっている。年金と移民の二つの問題が、先進国の政治の様相を大きく変えつつある。
遅くとも二〇三〇年には、先進国では退職者が退職の恩恵に浴せるのは七〇代半ばということになる。年金の額も少なくなる。
就業者の年金負担の上昇を多少なりとも抑えるために、心身ともに健康な者に対する定年は撤廃されているかもしれない。すでに若年者と中年者の多くが、自分たちの年金の財布が空になることを懸念している。いずれの国においても、政治家だけが、現行の年金制度を救える振りをしている。
移民は必要かつ不要
移民の受け入れが大きな問題となる。ベルリンのDIW研究所では、労働力を維持するためにドイツは年間一〇〇万人の移民を必要とすると推計した。他のヨーロッパ諸国も事態は変わらない。人口問題の権威、アメリカン・エンタプライズ・インスティテュート(ワシントン)のニコラス・エーベルスタットは、「今後五〇年間、日本は年間三五万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐためにはその倍を必要とする」(「フォリン・ポリシー」二〇〇一年三・四月号)といっている。しかもアメリカ以外の国には、そのような規模の移民を受け入れた経験がまったくない。
すでにこの問題が政治を変えつつある。
アメリカでさえ、移民問題が政党支持層に変化をもたらしつつある。移民に反対する労働組合は、一九九九年のWTOシアトル総会時のグローバル化反対デモを支持した。これからは、民主党候補は移民に反対して労組票をとるか、移民に賛成してラテン系を中心とする移民票をとるかで悩むことになる。共和党候補も、賛成して労働力の不足を懸念する経済界の支持を得るか、反対して反移民色を強める白人中流階層の支持を受けるかで悩むことになる。
とはいえ、先進国のなかでは、すでに多くの移民を受け入れているアメリカが数十年先をいっていることにまちがいない。アメリカは特に一九七○年代以降、非合法のものを含め大量の移民を受け入れている。そのほとんどが若く、出生率も高かった。そのおかげで、アメリカは今後三〇年から四〇年の間、他の先進国が人口を減少させていくなかにあって、わずかながら人口を増加させていく。
優位に立つアメリカ
アメリカが優位にあるのは、若年人口の数だけではない。移民に対する文化的な馴れがある。社会的、経済的に同化させる方法を身につけている。しかも最近では、ラテン系、アジア系ともにアメリカ社会に同化するスピードが速くなっている。ラテン系移民の三分の一は、ラテン系でも移民でもないアメリカ人と結婚している。最近の移民にとって、問題は公立学校のレベルの低さぐらいのものである。
先進国のなかでは、アメリカ並みの経験をもつ国はオーストラリアとカナダだけである。日本は一九二〇年代と三〇年代に朝鮮から受け入れた以外は移民を受け入れていない。彼らに対する差別意識は今日でも問題にされている。
しかも一九世紀の大量移民は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジルのような空白に近い地帯への移住か、同一国内における農村から都市部への流入だった。ところが二一世紀の移民は、すでにその国の人間がいるところへ流入する国籍、言語、文化、宗教の異なる外国人である。依然としてヨーロッパは、そのような外国人の同化に成功していない。
文化と市場の多様化
人口構造の変化がもたらす最大の影響が、文化と市場の多様化である。実は一九二〇年代、三〇年代まで、あらゆる国が多様な文化と市場をもっていた。それらは階層、職業、居住地によって分かれていた。たとえば一九二〇年あるいは四〇年までは、農村市場や富裕市場があった。
しかし第二次大戦後、あらゆる先進国が、ただ一つの文化とただ一つの市場をもつようになった。ところが、今日進行中の人口構造の変化は、それら単一化したマスの文化と市場に大きな影響を与える。
今日、再び市場は多様化の兆しを見せている。この二五年間、アメリカで最大の伸びを示してきた金融サービス産業では、すでに市場の多様化が明らかである。一九九〇年代の狂的ともいうべきハイテク株のバブル市場は四五歳未満人口の市場だった。これに対し、投資信託や私的年金など同じように急成長した長期投資市場は五〇歳以上人口の市場だった。
今後、先進国においてもっとも急速に成長するに遠いない高学歴者のための継続教育の市場も、これまでの若年市場とはまったく異質の価値観をもつ市場である。
もちろん、若年市場にもそれなりの際立って魅力的なものが生まれる。たとえば、中央政府の一人っ子政策が強力に推進された中国の沿海都市部では、中流階級がかつて四、五人の子供にかけていた総額を超える額を一人にかけるようになっている。日本でもその傾向がある。アメリカでは、中流階級が良質な学校のある郊外に引っ越すなど大金をかけている。新種の高級品市場たるこの若年市場もまた、過去五〇年間のマス市場とは異質である。
こうして戦後発展したマス市場が、若年人口の減少とともに影を薄くしつつある。
労働市場の多様化
労働市場のほうも、需要が異なり、動きが異なり、雇用形態が異なる多様な市場に分化する。すでに五〇代未満市場と五〇代以上市場が分かれつつある。若年者は、正社員として安定した収入を必要とする。少なくとも常時フルタイムの仕事を必要とする。これに対し現在急増中の高年者は、幅の広い選択肢を必要とする。彼らには多様な組み合わせがある。休養との組み合わせさえ必要とする。
労働市場は女性のテクノロジストの出現によっても多様化する。看護士、コンピュータ技師、弁護士補助職の資格をもつならば、一五年間の子育てのあと仕事に復帰できる。アメリカでは、男性よりも多くなった大卒女性の多くがテクノロジストの道を進んでいる。テクノロジストの道こそ、子育て後の社会復帰を望む女性のニーズに応え、かつ労働可能年限の延長という新しい現実に応える初めてのキャリアである。
そもそも労働可能年限の延長だけでも、労働市場の多様化を促進する。五〇年に及ぶ職業人生活は、一種類の仕事をするには長すぎる。
企業をはじめとする組織の短命化も、労働市場の多様化を促進する。これまでは、雇用主たる組織のほうが被用者よりも長命であることが常識だった。これからは、被用者、特に知識労働者の労働可能年限のほうが、うまくいっている組織の寿命をさえ上回る。
三〇年以上存続する企業はほとんどなくなることを覚悟しなければならない。政府機関や政府プログラムさえ、三〇年はもたなくなる。かつては、働く者のほとんどにとって、労働可能年限は三〇年以下だった。肉体労働者として疲れきってしまった。しかし今日、二〇代で労働力市場に入ってきた知識労働者は、五〇年経ったあとも心身ともに働くことが可能である。
すでにアメリカでは、「第二の仕事」「第二の人生」が流行語になっている。ますます多くの働き手が、私的年金や公的年金の受給資格を確定するや早期退職を選んでいる。働くことをやめるわけではない。新しい雇用形態のもとで再び働きはじめる。フリーとして働き、税務申告を忘れる者もいる。アウトソーシング先で働き続ける。あるいは契約社員として働く。最近では、この働き続けるための早期退職が増えている。
人口の変化に気をつけよ
二〇年後の労働力人口は、かなり確実に予測することができる。二〇二〇年に労働力になっている者はすでに生まれている。
しかし、アメリカのこの二〇年を見ても明らかなように、人口は予想もしない方向に急激に変化する。しかもその影響はかなり早く現われる。たとえばアメリカでは、一九四〇年代のベビーブームが、早くも一九五〇年代には住宅建設ブームを引き起こした。
アメリカは一九二〇年代の半ば以降、最初の少子化を経験した。一九二五年から三五年の間に、出生率が半減した。人口維持に必要な出生率二・二を割った。一九三〇年代にローズヴェルト大統領が任命した人口学者と統計学者からなるアメリカ人口問題諮問委員会は、アメリカの人口は一九四五年をピークとして、しだいに減少すると結論した。
ところが実際には、一九四〇年代の半ば以降、突然の人口爆発が起こり、予測がはずれた。わずか一〇年間に、出生率が一・八から三・六へと倍増した。一九四七年から五七年にかけて、アメリカは驚くべきベビーブームを経験した。出生数が年間二五〇万人から四二〇万人に増加した。
そして、一九六〇年から六一年にかけて逆の現象が始まった。団塊の世代が成人になることにともなって到来が予測されていたベビーブーム第二波の代わりに、突如少子化かやってきた。六一年から七五年の間に、出生率は三・七から一・八へと急落した。出生数は六〇年の四三〇万人から七五年には三一〇万人へと激減した。
予測できないことは、もう一度起きた。一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけてのベビーブームの再来がそれだった。出生率は最初のベビーブームを上回った。その原因は七〇年代前半に始まっていた大量移民だった。この大量移民の子供たちが成人し自分の子供をもちはじめたとき、その出生率は、移民先のアメリカではなく親の出身国のそれに近かった。二一世紀初めの今日、カリフォルニア州の学童の五人に一人は、少なくとも片親が外国生まれである。
しかし、一九四〇年代のベビーブームとその後二回の少子化については、原因がわかっていない。いずれの少子化も、理論的にはたくさんの子供をもつはずの好況時に起こった。四〇年代のベビーブームにしても、大きな戦争の直後は出生率が低下するという経験則からはありえないことだった。いまわかっていることは、現代社会の出生率を定めるものが何であるかについては何もわかっていないということだけである。
人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティにおいてもっとも重要な要因であるだけでなく、もっとも予測しがたく管理しがたい要因である。
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